「結城宗広」旧跡の整備を行いました
11月14日(土)見事な晴天の中、にぎわい委員会による「結城宗広」旧跡の整備を行いました。
~結城宗広の碑とは~
「太平記」の古い本には南朝の忠臣、結城宗広卿(入道道忠)が伊勢吹上の浜で没したと伝えていて、古くから一本木(いっぽうぎ)と呼ばれる所の木の下に結城宗広の碑と言われている碑が現存している。 また、光明寺(現伊勢市岩渕3丁目)にその供養塚がある。 ※明倫訪ね歩きマップより
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11月14日(土)見事な晴天の中、にぎわい委員会による「結城宗広」旧跡の整備を行いました。
~結城宗広の碑とは~
「太平記」の古い本には南朝の忠臣、結城宗広卿(入道道忠)が伊勢吹上の浜で没したと伝えていて、古くから一本木(いっぽうぎ)と呼ばれる所の木の下に結城宗広の碑と言われている碑が現存している。 また、光明寺(現伊勢市岩渕3丁目)にその供養塚がある。 ※明倫訪ね歩きマップより